藤波辰爾選手が好きです

プロレス

藤波辰爾選手とは

新日本プロレスの選手というよりも、猪木さん馬場さんに次ぐ「プロレスラー」の代名詞的存在の一人なんじゃないかと思ってます。正直言うと「紹介」するのも違和感がありますが、「どこが好き」を紹介するにも簡単にプロフィールを。

藤波選手は、1971年5月日本プロレスでデビュー、アントニオ猪木さんの付き人だった関係で翌年の新日本プロレス旗揚げから参加しています。リングネームは、藤波辰巳でしたが、腰のケガによる長期欠場の復帰を機に今の辰爾(たつみ)に変えました。

多彩なドラゴン殺法

藤波選手は若手時代からスターレスラーで、ジュニアヘビー級の第一人者(プロレスのウェイトは割とアバウトで100㎏前後をジュニアと呼ぶことが多かったです)として活躍し、ヘビー級転向後、腰を痛めてしまってからも第一線で長く活躍されました。

藤波選手といえば「ドラゴン」。鮮やかな身のこなしと「辰」の字から、いくつかのオリジナル技も含めて「ドラゴン〇〇」と名付けられ、その総称がドラゴン殺法です。

思いつくままに、ドラゴンスープレックス、ドラゴンロケット、ドラゴンスイーパー、ドラゴンスクリュー、ドラゴンリングイン・・・数々の名勝負を生んだだけでなく、多くの技が後輩たちに受け継がれていますね。藤波選手の偉大さ・積み上げてきた歴史が分かるものです。

新日本プロレス社長としては・・・

最後のドラゴン殺法を忘れていました「ドラゴンストップ」

藤波選手が新日本プロレス社長時代に、東京ドームの試合を「止めた」一件です。当時のプロレス人気は格闘技ブームに押され「急落中」だったと記憶していますが、それにしても訳が分かりませんでした。

猪木さんを本当に尊敬している藤波選手(そこが私にとって一番の魅力なのですが)、自身も超一流のレスラーでありながら、ここぞというときは「猪木さんが」となってしまう印象を持っています。人間らしいというか、「人生とは」と考えさせられるものがあります。

猪木さん、坂口征二さんに続き3代目の社長を務めましたが、トップレスラーが社長になるのは当たり前という当時の空気に対して「それでは難しいこともあるんだ」と気づかされた時代でした。

まだまだ現役!

引退ロードを歩んでいたはずだが・・・

プロレスは引退してまた復帰という選手もいますけれど、藤波選手は「カウントダウン、撤回→現役続行」まだ止めておりません。息子さんもレスラーになられています。現役生活49年、66歳で頑張っておられます。ただやっているだけでなく、今年初めの東京ドーム・ライガー選手の引退試合でもリングで試合が務まるのですから超人的です。

ユリオカ超特Qさんとは切り離せない

藤波選手を記事にする時は、この方の紹介も入れたいと思っていました。

ユリオカさんは芸人さんですが、「藤波さんへの尊敬」と「プロレスラーへの畏敬」が感じられるところが好きです。下の2つのネタが好きです。

「飛龍革命」は、当時中学生の私には難しすぎるテーマでしたが、今でも難しいです。最初から「何を言っていたのかよく分からなかった」のも難しい原因だったのですね。

「マッチョドラゴン」も皆様に一生に一度は是非聞いて頂きたい曲です。きっと「元気が出ます!!」。藤波選手の入場テーマ曲としては「ドラゴンスープレックス」が一番相応しいと思うし格好良いですが、それでもこの曲に触れずにはいられないです。

誰もが知っている超一流のレスラーですし、有名なエピソードばかりですが、それでも書きたくなる選手でして、その点はご容赦ください。

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