メジロパーマーの想い出

公営競技

GⅠレース2勝の名馬

今は解散してしまっていますが、多くの名馬を出した「メジロ牧場」生産馬の一頭で、1992年に宝塚記念、有馬記念の両グランプリを立て続けに制覇したお馬さんです。

最近は競走馬の名前って格好良いなと思うことが多いですが、当時は「冠名」(この馬のようにメジロ〇〇など、名前の前か後ろに同じもの)が付くのが、それはそれでスタンダードで、馬主の憧れみたいなところもありました。

「パーマー」も名プロゴルファー、アーノルドパーマー氏から来ています。この年は外国有名人の名前を付けるのがテーマで、「メジロマックイーン」「メジロライアン」など、同期に一流の活躍馬が出ています。

この馬への思い入れ

学生時代、将棋をやっていたのですが、自分が指したい手を指すだけ指す速攻型で、いわゆる「逃げ潰れ」でよく負けたので、成績があまり良くなかった頃のこの馬になぞらえて「パーマー」と呼ばれていたこともありました。この馬の成績が伸びだして全く呼ばれなくなりましたけれど。

「もんた」もそうですが、高校時代はこのときしか呼ばれない妙なニックネームがありましたね。当時は凄く周囲の競馬の熱が高かったので、その分この馬には思い入れがあります。

障害から戻ってきて本格化

この馬の偉大な足跡というか、「もう出ないだろうな」という記録は、障害レース(柵とか池を飛び越える長距離のもの。普通のレースは「平地(へいち)競走」)を経験してから、平地競走の世界に戻ってきて、最高峰のGⅠを優勝してしまったこと。

2018年の有馬記念、障害戦の名馬オジュウチョウサンの挑戦もドキドキ感がありましたけれど、「平地で活路を見出せない馬が障害に転じる」という一般的なイメージに対して、「障害から戻ってきた後の方が成績が良い」というのは大変珍しいです。

今思えば、変わった調教師(トレーナー)さんの方針が通った時代というか、稀有な道のりだったのかなと思います。

逃げ馬の魅力

「必ず前に行ってくれる」、たとえ負けたとしても「全力を尽くしてくれたと思える」、「たまに勝つ」ので、逃げ馬を買うのが基本的には好きです。でも、本当に馬券難しいんですけどね。

騎手(山田泰誠)との相性がとても良かったのも魅力でした。勝った時も勿論嬉しいですが、抜かれていくときもどこまで粘れるか見ていて、胸を熱くさせた記憶があります。

振り返ってみると、東京・京都(障害勝ちはありますね)の勝ちがないんですよね。小回りコースがこの馬の「逃げ」によく合っていたということなのでしょうか、馬券下手の私には今でもあまり分かりません。

引退後、種牡馬としては大活躍出来ませんでしたけど、2012年25歳で亡くなっています。馬の年齢を単純に×4で計算すれば100歳!幸せな馬生を送ったのではないかと思います。

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