寺西勇選手の想い出

プロレス

渋い!渋過ぎる!

どこぞの埼玉県銘菓みたいになってしまいましたが、本日ご紹介したいのは寺西勇選手です。いわゆる「渋い」レスラーの代表的存在です。

寺西選手は大相撲を経て、東京プロレスで1966年にデビューしました。東京プロレスは、これも大相撲出身・豊登さんが興した団体ですが、すぐに潰れてしまいます。国際プロレスへ移籍して、本格的なレスラー人生を送ることになりました。

ラッシャー木村選手、アニマル浜口選手と、国際プロレス出身レスラーの記事を書いたので、寺西選手のことも是非書いてみたいなと思いました。

ところが、いざ書こうとすると、私の寺西選手の記憶って、いつも誰かとセットだったり、やたらと攻撃されていたり、反則ばかりしていたり、良いイメージがすごく少ない!そこで記憶を辿りつつ、調べ直しもしましたのでここでその成果を(^^)

寺西勇のどこが技巧派?ここ!

寺西選手は「技巧派」として名が通っており、リング上でもオールバックの髪型が乱れることはほとんどなく、トレードマークの白タイツ・シューズを変えることもなかったので「玄人好みの渋いレスラー」としての印象を持たれる方が多かったと思います。

でも、上に書いたように、国際プロレス崩壊後の新日本、全日本では、その技能を披露する場にはあまり恵まれなかったのではないかというのが私の感想です。

落ち着いて寺西選手のプロレスを振り返ってみると、凄いの一言です。動きが身軽で関節技、スープレックスがとても綺麗です。ジャーマンとかは、今では皆さんちゃんとしてますけど、私が子どもの頃は結構「これがジャーマン?」みたいなものが結構ありました。

そして受け身が上手くて、試合をリードすることにも長けています。海外遠征の経験がないということですから、豊富な練習量と、来日した多彩な選手たちの動きからご自身のセンスで吸収していったということなんですよね。

惜しいのは、初代タイガーマスクとの絡みがこれからというところで終わってしまったこと(新日本最後の試合が寺西戦)と、私が真剣に見始めたころにはもう体を痛められてしまっていたことですね。「今日は試合ないのか」なんて思っているうちに引退になってしまいました。

私が国際プロレス出身のレスラーに惹かれる理由

全盛期をこの目で見たことがない

国際プロレス出身のレスラーを紹介してきましたが、私がこれらの選手たちに惹かれるのは、
・その後のレスラー人生を全うされたこと
・全盛期はどんなプロレスを披露してお客さんを沸かせていたんだろうと想像することが喜び
だからです。

寺西さんの言葉「リングに上がっていないプロレスラーなんて屁みたいなもんだ」は強烈な自分への叱咤であり、プロレスラーとしてのプライドの表れだと思います。

「ジョバー(いわゆる負け役)として優秀」なんて誉め言葉に使いたくありません。リングに上がって、お客様を興奮させることに命をかけている選手たちを、これからも勝っても負けても応援したいですし、昔のビデオも見続けていけたらと思っています。

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