ジャンボ鶴田選手の想い出

プロレス

最強説あり!完全無欠の燃える五冠王

藤波選手同様、有名過ぎて紹介は気が引けますが、全日本プロレス・ジャイアント馬場さんの後継のメーンイベンターとして長く活躍されたレスラーです。肝臓を悪くされて2000年5月に49歳の若さで亡くなられています。

プロレスラーは、猪木さんの「燃える闘魂」的なキャッチフレーズがよくありますが、鶴田さんには「全日本プロレスの若大将」とか「完全無欠のエース」とか、あまりピンと来るものがなくて、キャリア後半に「怪物」というのが定着します。

見出しに書いたのは、三冠王者なり立ての、タッグ王座を合わせて5つのベルトを同時に保持した頃の呼び方で、私はこの頃の鶴田さんがとても好きなので気に入っています。

鶴田選手は、1972年ミュンヘンオリンピックのアマレス日本代表で、強く、大きく、全身のバネがある鶴田選手は、外国人選手との闘いにも見劣りせず、ライバルの日本人選手よりも一回り大きく見えたことから「ジャンボ鶴田最強説」を唱えるファンも沢山いました。私も鶴田選手の「強さ」に憧れた一人です。

三冠王者誕生の瞬間をこの目で見ました!

私の観戦歴で一番思い出深いのが、鶴田選手の数々の戦いです。

プロレスをちゃんと見始めたきっかけとしてお話をしましたが、当時の全日本プロレスは、「誰が最初の三冠王者になるのか」をテーマに、鶴田選手、天龍源一郎選手、スタン・ハンセン選手、そして亡くなったブルーザーブロディ選手でトップ争いが繰り広げられていました。

その決着がついたのが、1989年4月18日大田区体育館で行われた全日本プロレスの大会のメーンイベントです。PWF・UN二冠王者のスタンハンセン選手とインター王者のジャンボ鶴田選手が激突し、鶴田選手が初代王者となるのですが、私その大会のチケットを持っていたんです。2日前の後楽園で決着がつかなくて良かったって心底思いましたね。

チケットは初めてリングサイドを買いました。リングサイドと言っても、最前列などではなかったのですが、初めて同じフロアにレスラーがいる興奮で一杯でした。テレビ中継では、私の光ったメガネだけ確認できました。試合は「ハンセンってやっぱりでかいな」という記憶が残っています。

美しいとしか言えない「バックドロップ」

「鉄人ルー・テーズ直伝」「へそで投げる」とか、「相手によって角度を変えるから凄い」とか色々語られますが、鶴田最強を裏付けるとしたら、このバックドロップの「美しさ」ですよ。

バクドロップには「岩石落とし」なんて仰々しい和名がありますが、こういうオーソドックスな技を本当に説得力ある、キレイな形でフィニッシュにつなげられるのは、相手の良さもありますが、一流選手の証明だと思います。あまりの美しさにストレス解消にもなりますよ。

代名詞「ジャンピングニー」と「オー」

バックドロップは多くの使い手がいますが、「鶴田選手ならでは」となると、この2つでしょう。

ジャンピングニーは、その名の通り、ジャンプして膝を相手にぶつけていくというシンプルな技ですが、大きな選手だと「映え」ますが、割とシルエットが格好悪くなりがちです。無防備なんですよね。この技を格好よく見せるのは至難の業だと思います。

「オー」は、鶴田選手が会場に呼びかけるかけ声で、当初はあまり反応が良くなかった記憶があります。鶴田選手のファン自体は元々沢山いましたが、お客さんを巻き込んで大きく会場を盛り上げるようになったのは、天龍選手、三沢選手との闘い以降のことだと思います。「オー」の連呼なんて最高です、今もプロレスは良い形で発展していると思いますが、鶴田選手に対して後の全日本四天王が挑んでいったあの時期も、一つの頂点だったと思いますね。

ライバルとの名勝負

「強すぎて勝負にならない」、「本気を出さない鶴田」を熱い闘いの場に誘ったのは天龍選手だと思います。ずっと活躍されて、名勝負も沢山残した鶴田選手ですが、天龍選手との闘いは別格の存在感で、ライバルの名にふさわしいと思います。

この戦いを通して鶴田選手は変わったのだと思います。6人タッグですら凄い試合を生み出したり、後輩の高く厚い壁になったり、「怪物」としての力を遺憾なく発揮していきます。

笑顔の素敵な、優しそうなジャンボ鶴田選手が好きですが、鬼のような厳しい戦いを見せてくれる鶴田さんが同じくらい好きです。

プロレス
スポンサーリンク
シェアする
montaをフォローする
もんた心(こころ)のブログ

コメント