「弱い」イメージは間違い!
大相撲出身、やられ役を一手に引き受けて
今回ご紹介するのは、木村健悟選手。長く新日本プロレスで活躍した選手です。
大相撲出身で四股名は「木村山(単純!)」、1年ほどで廃業したあと、1972年日本プロレスでデビューし、翌73年に新日本プロレスに移籍しました。
「藤波選手の次」というポジションで、エース選手に代わって相手選手から
やたらめったらやられる
ことが多かったため、「木村は弱い」「いつもやられてばかりでノビている」というイメージが強かったと思います。私もそれに近かったです。
しかし、
それは過小評価
というものです。木村選手の試合をよく見てみると、常に相手の技を受け切って耐え続けて見せています。
カッコよく相手を倒すことだけが強さの証明ではありません。相手の良さを引き出すというのもプロレスラーの立派な仕事というものだと思います。
藤波選手とのワンマッチ興行がキャリア上のベスト!
木村選手が高く評価されているのは、伝説の興行、1987年1月14日後楽園ホールの藤波辰爾戦のおかげも大きいと思います。
これの何が伝説かといって、たった1試合で興行を成立させたことです。
当時の常識は7~9試合といったところですから、よくぞこんな思い切ったことが出来たものだと本当に感心します。選手数が少なかったのを逆手に取った画期的なアイデアですね。もちろん、この一試合だけで興行を成立させた藤波選手と木村選手の力量の高さが十分に証明されたことでもあります。
木村選手は、「受け」が凄いだけに、パワー型の選手と闘うとより真価を発揮します。外国人選手たちとも良い試合を残しましたし、橋本真也選手、天龍源一郎選手との対戦も木村選手の凄さを十分に感じさせてくれる闘いでした。
藤波選手は、パワー型ではありませんが、「ライバルストーリー」として強く印象に残りましたね。「タッグパートナーだけれども、越えなければならない存在」として常に意識し、それがお客さんに伝わったからこその名勝負になったのだと思います。
洋子ガンバル!木村選手も「ガンバル」
奥様の洋子さんは長く目黒区議を務められました。「洋子ガンバル」のキャッチフレーズで随分長く選挙区を回られたと思います。木村選手ご自身も2011年から品川区議を務められ、現在は松原仁さんの政策グループ「ガンバル」にいます。
木村選手は2003年に現役を引退され、その後しばらく新日本プロレスのスカウト部長をされていました。その頃はもう次のこと(政治進出も含めて)を考えていたのかも知れませんね。
迷言!?「誰が辞めれば良いか考えた時にそれは自分だと思った」
スカウト部長を辞任したときの木村選手のコメントです。一言一句そのままとは自信ありませんが、ほぼほぼこの通りの内容だったと思います。レスラー時代同様、
「何だか木村さんって楽そう・・・」
なんて勝手なイメージがあったんですよね。それにしても「他人を押しのけることがない」木村さんのイメージそのままの発言だったと思います。
引退後の「円天」の一件はだいぶのことでしたが、
『失敗のない人生はない』
再チャレンジを、品川区議として送られています。
木村選手は歌がうまいことでも有名です。CDも何枚か出していますが、デビュー曲「らしくもないぜ」はよくネタにされたので有名です。この点ではライバル藤波選手に完勝だと断言できます(^^)
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