越中詩郎選手の想い出

プロレス

こしなか しろう選手と読みます

子どもあるあるですが、当時小学生だった私は「エッチュー」さんだと思っていました。詩郎という字もなかなか書けませんでした。

アナウンサーさんが「こしなか」と発音するのですから間違いないですが、後輩、ライバル選手から「エッチューさん」と呼ばれていたのも間違えの元でしたね(^^;)
越中ふんどしとも何の関係もなさそうです。

全日本プロレスから新日本プロレスへの移籍を成功させた人

越中選手は1979年全日本プロレスでデビュー、先日ご紹介した渕正信選手などより後輩で、三沢光晴選手の少し先輩です。

海外遠征の切符はメキシコ行きでしたが、なかなか帰国の声がかからぬうちに、当時選手不足に悩んでいた新日本プロレスに移籍します。

当時の全日本と新日本は、馬場さん、猪木さんが作った団体だけあって、それぞれの団体のカラーが強く異なりました。決して大柄ではないジュニアヘビー級の体格だった越中選手が、体格にこだわらず選手が活躍できる新日本に道を見つけたというのは、やはり「縁」というものでしょうか。

お互いがライバル視している団体だけに、他所から来た選手はなかなか活躍するのが難しいです。
「全日本から来た選手が通用しないほど新日本の選手は強い(その逆もそうです)」
と言いたいですからね。

ですが、その難しい移籍を成功させたのが越中選手です。形としては一番良かったのではないでしょうか。新日本に行かなかったら、高田延彦選手との名勝負も生まれなかったわけで、巡り合わせの大切さを感じさせます。

ヒップアタックを「必殺技」にまで昇華

越中選手の試合は、
受けの凄み、
キレイなスープレックス、
力強いパワーボム、
早業の丸め込み
など、リズム・テンポの良さが際立っていますが、そのリズムを作る「大技」が、越中選手の十八番
「ヒップアタック」
ですね。
文字通り、走って行って相手に自分のお尻をぶつける一見コミカルな技ですが、「鉄板入っているんじゃないか」っていうくらい越中選手のお尻は固いそうで、技を受ける選手が気の毒になります。
越中選手以降、何人かの使い手が出ましたが、この方を越えるのは難しそうです(^^;)

アメトーーク!「越中詩郎芸人」で再ブレイク

「やってやるって」なんてそんなに言いません(^^;)

越中選手は昭和の終わりから活躍し続けたトップレスラーの一人ですから知名度も抜群!
とはいえ、アメトーーク!で紹介されるのは爆発力がありますよね。プレゼンターが、プロレス大好きでお話も上手なケンドーコバヤシさんだったのも大きかったと思います。ディフォルメの上手なケンコバさんですから、当時話題になった「やってやるって」ですが、そんなには言ってませんよね(^^;)

「越中選手知っているよ」という方の中にも、もしかしたらアメトーーク!がきっかけになった方もいらっしゃるかも知れません。以前、プロレス大好き芸人の感想を記事にしたことがありますが、また色んな選手の特集やって欲しいですね。

名テーマ曲「SAMURAI(サムライ)」

でーんでーんでーんでーんでーん でー

越中選手のテーマ曲の冒頭です、私にはこう聞こえます。
ここから大コシナカコールの始まりです。

越中選手の異名は、ド演歌ファイター、ド根性ファイター・・・泥臭いイメージがありますが、テーマ曲サムライは、音の数も少なく、音色も凝っていないのに、越中選手にしか似つかわしくない、越中選手だからこそしっくりくる、長州選手の「パワーホール」に並ぶ名曲だと思います。

コンディション維持が得意で有名な越中選手、61歳の現在も現役続行中です。この曲を聞かれる機会がありましたら、「コッシナカ(こう発音します)」コールと合わせてお楽しみ頂ければと思います。

ご紹介するのは、ケンコバさんとの本「やってやるって」ですね。よく売れた本ですし、ほぼ送料で手に入ると思います。この記事を読んで興味を持って下さった方、「懐かしいな」「どんな本だったっけ、また読んでみようかな」と思われた方は覗いてみて下さい(^^)

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