新・格闘王
アントニオ猪木の真の意味での後継者だと思います
前田日明選手は、1978年新日本プロレスでデビュー。デビュー当時は「前田明」のリングネームでしたが、途中で日明(あきら)とされています。
前田選手を表すのに一番ピッタリなのが、見出しの「新・格闘王」だと思います。
もともと「格闘王」の名を欲しいままにしたのは、師匠アントニオ猪木さんですね。異種格闘技戦という斬新なアイデアで、有名格闘家たちと沢山の勝負を残してきました。
前田選手が、先輩である藤波さんや長州さんと一味違うレスラー人生を送った原点は、1984年に出来た当時「第三の団体」ユニバーサル(第1次UWF)でエースレスラーとなったところにあると思います。
20代で「会社を背負って」メーンイベントを務め、「社員、新弟子を何とかする」という気概が、前田選手を前田選手らしくさせたのだと思います。
団体を背負った経験のあるレスラーとないレスラーでは根本的な差が生じるように思います。
特に前田選手は、その差が「絶大」に出ていると思いますね。アントニオ猪木さんと同じかそれ以上のカリスマ性というのは、ここから生じていると考えます。
「新・格闘王」と呼ばれるようになったのは1986年10月キックボクサーのドン・中矢・ニールセン戦からですが、
・自分たちのしていることがどのようにお客さんから見えるか、
・どうやったらお客さんを惹きつけることが出来るか
をとことんまで追求して、この格闘というものをプロレスに取り込んでいったのは、猪木さんと前田さんなんだと思います。
第2次UWFで一大ムーブメントを起こす
ユニバーサルが潰れて、一度は新日本に戻った前田選手ですが、そこでもトラブルは続き、1988年再度自分で団体を興すことになります。
それが第二次UWFです。
前田選手の戦略は見事にあたり、東京ドーム大会も成功させるほどの一大ムーブメントなりますが、「思い込みの激しさ」というか、悪いことは重なり、自分の団体を自分で失くしてしまう方向へ・・・
それでも挫けないというか、さらに新しい闘いを提供できるのが、前田選手の凄いところでした。
新しく作ったリングスは、所属日本人選手は前田選手一人という前代未聞のスタートながら、オランダ、ロシア、・・・ドンドンとその格闘ネットワークを広げていき、未知の格闘技、強豪をどんどん日本に紹介するという役割を果たしていきます。
UWF時代から根強くありましたが、
「あれはプロレスだよ」
という声も、事実としてはそうなのでしょうが、
「それで(プロレスでなかったら)」
格闘技は発展したのでしょうか?
本当に格闘技を隆盛に持って行ったのは、やはり前田選手の功績は大と思います。
プライドで一時代を築いたヒョードル選手やノゲイラ選手もリングスが日本に紹介した選手です。
YOUTUBEチャンネルでまた興味が沸きました
エピソードだらけの前田選手についてはまだまだ書ききれませんが、これらを思い出させてくれたのは、前田選手が現在やっているYOUTUBEチャンネルです。
前田選手は現在61歳、還暦超えですね。
チャンネルは対談企画がとても面白いです。人の話を遮るのはあまり良くない癖ですが、それも前田選手らしさが溢れていますね。昔から変わらないとも言えます。
ただ心配なくらいウェイト(体重)が・・・
もともと大柄な方ですが、対談する人は有名な格闘家、レスラーばかりなのに
「みんなが小さく見えます」
お身体を大事に、いつまでも色んなお話まだまだ聞きたいです。
前田日明チャンネルはこちらから
引退試合も前田流
今回ご紹介するDVDは、前田選手の引退試合が収められたものです。
私も横浜アリーナの本当の最後列で観ました。とんでもない満員でした。
引退試合ということもあり、「大型ビジョンでもっと細かい表情が観たいな」「最後はどんな言葉を残してリングを去っていくのかな」って興味津々で試合を見ましたが、その結果は!?
色んな媒体で記録が残っていますので、是非ご自身で確かめてみて下さい。衝撃の結末です。
対戦相手となったアレキサンダー・カレリン選手は、レスリングのグレコローマン130㎏級で、五輪3連覇、世界選手権9連覇、13年間国際大会無敗というとんでもない記録を打ち立てた「霊長類最強の男」です。
そんな選手を自分のリングに上げて、試合を成立させたという点でも、前田選手のレスラー、プロモーターとしての力量が証明された一戦でしたね。
引退試合まで「前田」というレスラーを表現していましたね。こんな引退の仕方は、他の選手も真似しようともしないだろうし、出来ないと思います。
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